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午王山遺跡を知っていますか?
午王山遺跡とは
埼玉県和光市新倉3丁目2831番1外に位置し午王山遺跡は
「神羅から来た王子が住んでいた」という伝説が残されている遺跡である。
旧石器時代,縄文時代,弥生時代,古墳時代,奈良・平安時代の遺構・遺物が存在する複合遺跡である。
そして令和2年3月10日に国指定の史跡に正式に指定された。
午王山遺跡に眠る特徴①
午王山遺跡の5つの特徴
暮らしやすい荒川低地と集落全体を把握できる

住居跡
墓域
荒川低地
荒川低地
荒川低地に立地された弥生時代後期の集落遺跡である。
午王山遺跡は中央兵站部の居住域と墓域からなる集落の全容が
把握できる遺跡となっている。
午王山遺跡に眠る特徴②
弥生後期に位置付けられる環濠集落

弥生時代
環濠
環濠集落イメージ
集落の周囲を堀を巡らせたムラであり,水稲農耕とともに大陸からもたらされた新しい集落の境界施設である。
弥生時代中期後半から後期後半までの集落であり,後期中葉前後に位置付けられる
環濠を持つことから集落の移り変わりと環濠の関係をつかむことが出来る
午王山遺跡に眠る特徴③
関東地方で類例の少ない多重環濠集落

午王山遺跡多重環濠集落イメージ
A溝
B溝
C溝
集落を囲むようにA溝,B溝,C溝と3条の溝が設けられており,
関東地方では類例の少ない多重環濠持つ集落である可能性が高い。
午王山遺跡に眠る特徴④
多数の種類の土器や意向からかつて他の集落からの交流や往来を確認できる
午王山遺跡に眠る土器
岩鼻式土器
櫛描文という現代の髪の毛をとかすクシで多数の線を引いたような模様を有している。
久ヶ原式土器
南関東に分布されるものとされており口縁部や胸部に縄文模様があるのが特徴。また赤色のベンガラが塗られているのも特徴である。


下戸塚式土器
菊川式土器の特徴と久ヶ原式土器の特徴が複合した独自の特色を持つ。
菊川式土器
午王山遺跡では発掘されていないが東海に分布される菊川式土器は無花果系の器型が特徴的で細首で肩を張らないものから胸部の針が強くなるもの首部の屈曲が強くなるものに変遷する。
南関東の久ヶ原式,中部高地系の岩鼻式,下戸塚式(南関東の久ヶ原式と東海東部系の菊川式)これら三系統の土器が見られ遠隔地との交流や往来が確認できる。
午王山遺跡に眠る特徴⑤
土器以外の遺構や住居跡からも遠隔地との交流がわかる
銅釧
銅鐸形土製品

銅釧は青銅器でできた腕輪である。
弥生時代中期から現れ始めた。

銅鐸という柄付きの青銅器の楽器のようなものと言われそれを模した土製品である。だが銅鐸と異なった目的で使用されているその真相は謎である。
土器だけでなく竪穴住居跡や銅鐸形土製品,銅釧など様々なものから遠隔地との交流がわかる。
以上のことから弥生時代後期の関東地方を代表する集落遺跡の一つであるとともに荒川流域を中心として関東地方の弥生社会を解明する鍵となりうる遺跡である。
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このページは和光市教育委員会様より監修ご指導いただきました。
参考 和光市教育委員会:和光市埋蔵文化財調査報告集第66集「午王山遺跡総括報告書」(2019.6)
©関東学生景観デザインコンペティション実行委員会
協力 日本大学生産工学部中澤研究室
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